沿革
2023(令和5)年
2023(令和5)年
新型コロナウイルス流行後、働き方と人材の特徴は大きく変化している。テレワークの普及により、働く場所や時間の制約がなくなり、柔軟な働き方が可能となった。また、仕事内容の強弱や形態も変化した。新型コロナウイルス流行後、働き方と人材の特徴は大きく変化している。マーケットが柔軟性を必要とする際に、企業はどのようにコアバリューに立ち返ることができるかが重要な課題となっている。
2023(令和5)年
2022(令和4)年
2022(令和4)年
新型コロナウイルスの感染の流行が繰り返されるなか、柔軟性、標準化、規格化、デジタル化を保つことは重要な課題となっている。標準化によって効率が向上し、規格化によって外部との接続が可能となり、デジタル化によって地理的な制約を打破することで、現状に適応可能なフレキシビリティを保持しながら生産性を維持。業績の影響は受けているが、この機会にサービスラインの土台を固め、着実に前進している。
2021(令和3)年
2021(令和3)年
2021(令和3)年
2020(令和2)年
2020(令和2)年
2019(令和元)年
2019(令和元)年
2019(令和元)年
2018(平成30)年
2018(平成30)年
クラウドプラットフォームが順調に稼動。サイバー攻撃も受ける。マレーシア子会社が再編。日本市場での進展が一進一退である。ブロックチェーン関連企業に投資。新しいビジネスモデルが実行される。次世代ERPシステムの導入を検討し、再度組織変革・プロセス再構築を牽引していくことで、顧客優先、モジュール化、知能化などの課題に対応。ここ数年挑戦を恐れず、進化し続け、市場の最先端を走り続ける。
2017(平成29)年
2017(平成29)年
本来のビジネスモデルによる売上が増加し続けている。深圳で新しい位置づけの工場への投資を検討。製造からサービスまでクラウドプラットフォームの牽引により新しいビジネスモデルは弊社とお客様の利益を一致させる。ビジネスモデルの合理性が強化されるため、持続可能となる。業界をリードするような変革をはじめて試みるが、恐怖より興奮、生存より使命、利益より成就が大きい。
2017(平成29)年
2016(平成28)年
2016(平成28)年
2年以上かけて数千万台湾ドル投入後、第3代クラウド型監視追跡システムの運用をリリース。世界をリードする布石で存続・成長し続けるチャンスを再び手に入れる。向こう数年、人工知能(AI)の発達の影響が各分野に及んでいく。次世代を担う人材の育成が急務であり、事業承継を進めていく必要がある。業績が持続的な成長を遂げている。組織を再構築し、顧客研究発展部を設立、IT部門の役割を調整。AI関連分野における研究開発や投資、布石を加速。
2015(平成27)年
2015(平成27)年
年間売上高が20%を超えるが、営業利益がモデルチェンジ前のピークを突破。マレーシア子会社は成立後2年経過、業績は300%を超える成長を遂げた。年間MVPは2連続で、非台湾籍従業員が授与、異文化を尊重・理解・包容する一歩を踏み出す。
中国市場の年間売上高が台湾を超える。北京子会社を設立し、中国マーケット開拓を継続。
2015(平成27)年
2014(平成26)年
2014(平成26)年
海外の年間売上高が初めて台湾を超える。
グローバル人材の育成や管理制度の有効運用、マーケット変化への対応、異文化に対する理解力と包容力など、多くの困難と挑戦が付きまとう。クラウド型監視追跡システムを軸に、ビッグデータやホログラム、
凹版印刷などを合わせ、顧客のブランド保護の発展方針を決める。
2013(平成25)年
2013(平成25)年
営業部門における改革は実行面で次々と課題が現れるが、企業文化や組織に対するチャレンジと認識。年間売上高は10%以上の成長を遂げたが、予想を下回るものであった。クラウド型監視追跡システム2.0の導入は紆余曲折に直面。光学微細構造2.5は実現の可能性が確認される。焦点変化技術を発売し、市場におけるリーダー的な地位を維持。振り返ると「挑戦の一年」であった。
2013(平成25)年
2012(平成24)年
2012(平成24)年
営業部門の再編成がほぼ完了。効果が現れるまで多大な努力が必要であるが、向こう数年の売上高の成長速度に反映される。日本やインド、マレーシア、インドネシアなどアジア市場の深耕を開始。第2代光学微細構造と第3代クラウド型監視追跡システムの研究開発を開始。
2011(平成23)年
2011(平成23)年
年間売上高がモデルチェンジ前のピークを突破し、利益も大幅に成長。市場のグローバル化に対応し営業部門の再編成・組織改革が完了。業務遂行フローを標準化し、職能知識学習査定システムと併せてクラウド化を実施。QRコードによるクラウド型追跡システムの完成後市場で発売。整った偽造防止戦略の青写真の概要を描き出している。廣州に支社を設立、アジア市場への進出に着手。
2011(平成23)年
2010(平成22)年
2010(平成22)年
光学マイクロ構造については、次々と光屈折率動画、光制御マイクロレンズスタック、レインボー・マイクロレンズスタック、3Dマイクロレンズスタックなどの先端技術を開発、ライバル他社にリードを広げることが可能となる。南京、香港に拠点を設立し、中国市場を深耕。しかし営業人材の育成が思うように進まず、その後の成長速度に影響する恐れがある。
2009(平成21)年
2009(平成21)年
売上高の成長が予想を下回る。金融危機の影響下、台湾では損益が均衡し、中国の成長は依然として加速しているが、目標の3-5億元と離れており、大きな努力が必要。先端技術であるマイクロレンズスタックをはじめて量産化する企業となる可能性が高い。模倣不可能の判断があり、初歩的検査をクリア。シカゴの全米包装見本市、ブリュッセルのラベルエキスポヨーロッパに参加するが、成果は予想を下回るものであった。
2009(平成21)年
2008(平成20)年
2008(平成20)年
ホログラフィ開発チームが世界に先駆けて反射式カラーデジタルホログラフィを発表、世界独占ライセンスを取得。UV光学マイクロ構造成形プロセスを開発。日本大手製薬会社エーザイ社より受注し、基準が厳しい日本の製薬会社に納品可能な初の台湾偽造防止企業となる。
2007(平成19)年
2007(平成19)年
ERP運用を正式にリリース。中国市場は安定したマーケットが復活。年間業績と利益が引き続き増加。台湾市場におけるリーダー的地位も引き続き強まっているが、その速度は予測を下回るものである。組織改革を継続して推進し、ナレッジマネジメントスタッフを増員、人材育成の加速に対応。焦点変化技術を開発し、同時にコールドフォイル印刷とレーザーマーカープロセスを導入し、顧客サービスを強化。
2007(平成19)年
2006(平成18)年
2006(平成18)年
深圳、上海では大幅に組織を拡大。ERPを試験的に導入。積極的に人材を育成。中国市場の開拓は期待通りに進まない。2010年までには年間売上高を3-5億元以上に増やすと期待し、次世代のホログラフィとマイクロ・ナノ製品もマーケットに投入予定。
2005(平成17)年
2005(平成17)年
業績が引続き成長し、深圳では損益の均衡を実現。大量のマーケット情報と製造プロセスにおけるニーズに対応するため、工場組織を調整し、ERPシステムの導入を検討。コバート技術や特殊凹版印刷などの開発に初歩的な成果が見られた。
2005(平成17)年
2004(平成16)年
2004(平成16)年
新たなマーケットでの位置づけと技術が受け入れられ、モデルチェンジは初歩的な結果を獲得。特に基準が厳しい薬品の偽造防止において世界的メーカー各社から評価・認知されたことは貴重である。コバート技術や特殊凹版印刷などの開発に着手。
2003(平成15)年
2003(平成15)年
凹版印刷機の生産能力を向上し、中国市場進出の準備を行う。クリーンルームやホログラフィック設備を整備。初オプトエレクトロニクス見本市に初出展し、台湾から海外へ進出するウォーミングアップを実施。
2003(平成15)年
2002(平成14)年
2002(平成14)年
深圳、上海では大幅に組織を拡大。ERPを試験的に導入。積極的に人材を育成。中国市場の開拓は期待通りに進まない。2010年までには年間売上高を3-5億元以上に増やすと期待し、次世代のホログラフィとマイクロ・ナノ製品もマーケットに投入予定。
2001(平成13)年
2001(平成13)年
凹版印刷機の生産能力を向上し、中国市場進出の準備を行う。クリーンルームやホログラフィック設備を整備。初オプトエレクトロニクス見本市に初出展し、台湾から海外へ進出するウォーミングアップを実施。
2001(平成13)年
2000(平成12)年
2000(平成12)年
3台目の凹版印刷機を導入。業務は凹版印刷を主とし、各種凹版印刷技術の開発を開始。
1999(平成11)年
1999(平成11)年
年間売上高が1億元以上を維持。正式に凹版印刷機、ロータリー印刷機の使用を開始。ギフト券や為替手形などの市場に参入。改めて有価証券専門印刷製造事業者として位置づける。新しい株式事務ソフトと小切手ソフトを発売。小切手印刷製造業務は多数の銀行から受注を獲得するため、業績はわずかながら成長を遂げる。
1999(平成11)年
1998(平成10)年
1998(平成10)年
新工場へ移転。年間売上高が初めて1億元を超過、1億1千万元となる。新しい管理システムの運用が始まり、大型レーザープリンターと3台目となる小切手印刷機、そして凹版印刷機を追加購入。退職金の計画的積立を完成。株式事務ソフト、プリントソフトをリライトし、今後数年の発展の基礎を築く。
1997(平成9)年
1997(平成9)年
出生証明書の市場参入は順調ではないが、小切手、株券及び金融商品の印刷製造業務が大幅に成長。年間売上高は8千万元となり予定目標の7千万元を大きく上回る。しかし歩留まりと納品遅延に懸念が必要なレベルに達する。新工場建物を購入し、生産能力と作業環境を改善し、顧客のために企業責任を十分に尽くす。
1997(平成9)年
1996(平成8)年
1996(平成8)年
職工福利委員会を設立。初めての海外社員旅行を実施。多くの社員の年俸が100万元を超える。営業職の職務説明書が完了。工場が二交代制及び週休二日制の実施を開始。IT部門が競争力を高めるため、第2世代管理ソフトの開発に着手。年間売上高が5,000万元を超える。高雄事務所を設立。
1995(平成7)年
1995(平成7)年
工場の二交代制の準備に着手。業績は縮小の影から抜け出し、年間売上高が2,500万元から4,000万元に成長。人事管理規程が完成。各部門の職務説明書の制定に着手。
1995(平成7)年
1994(平成6)年
1994(平成6)年
NT$2千万元に増資。2台目の小切手専用印刷機を購入し、小切手印刷製造業務が成長を始める。台中事務所を正式に設立し、擎雷資訊股份有限公司を設立。出生証明書の印刷製造を開発。人事給与査定管理制度の企画に着手。
1993(平成5)年
1993(平成5)年
台湾で最初の小切手専用印刷機を導入。小切手と約束手形印刷製造に参入。IT部門リーダーの退職により、大規模な人事異動が発生し、IT部門の発展がとん挫。
1993(平成5)年
1992(平成4)年
1992(平成4)年
入社満1年の社員にストック・ワラント(株式引受権)を開放すると共に、取締役の1席を社員代表のために保留。中南部に常駐人員を派遣し、IT部門がお客様のコンピュータ化案件を請負う。
1991(平成3)年
1991(平成3)年
IT部門を設立し、株式事務ソフトウェアの開発を完了。最初のセット販売後、会社管理のコンピュータ化に着手し、株式事務書類表の印刷業務を受託。
1991(平成3)年
1990(平成2)年
1990(平成2)年
工場建物を自社購入し、中和に移転。NT$500万元に増資。株式事務と管理システムの開発に着手。
1989(平成元)年
1989(平成元)年
証券市場の目覚ましい発展によって、業績が大幅に成長し、証券専門印刷製造事業者としての会社の将来の方向性を確立。
1989(平成元)年
1988(昭和63)年
1988(昭和63)年
OEMを終了し、バーコードの開発に成功。セキュリティスレッド証券用紙による最初の上場企業である泰瑞電子、神達電子の証券印刷を受託。アパレル産業の巨行服飾に投資。
1987(昭和62)年
1987(昭和62)年
永豊餘、精業のOEMとして株券と社債、受益証券を印刷製造。
1987(昭和62)年
1986(昭和61)年
1986(昭和61)年
1985(昭和60)年
1985(昭和60)年
選挙ポスターの印刷製造を行うが、ネガティブキャンペーン用の掲示物の印刷による政治的攻撃者になることは意に反する為、選挙ポスターの印刷製造を取りやめる。
1985(昭和60)年
1984(昭和59)年
1984(昭和59)年
新象会社のポスターやプログラムの印刷製造が売上高の8割を占め、損益が均衡。
1983(昭和58)年
1983(昭和58)年
蘇宏洋、沈靚清、程普生の3人が伊通街にて会社設立を発起。資本金NT$30万元で中古のスピード印刷機を購入し、一般の報告書や伝票を印刷製造。
1983(昭和58)年